一般的には「試合」を使い、「泥仕合」と「闇仕合」の時だけ「仕合」が使われる。
実はどちらも当て字だが、あまり使われない「仕合」の方が語源には近い。
「しあい」という言葉は、物事を互いにする意味の「しあう(為合う)」が名詞化された語である。
動詞「する(為る)」を名詞化する際、「仕方」「仕事」「仕業」のように「し」には「仕」の字が当てられため、「しあい」も「仕合」となる。
互いにすることの中には「勝負を競う」の意味もあり、それに合わせて作られた当て字が「試合」である。
「国際試合」や「完全試合」のように、競技や武術で技を競い、勝負を争うという意味では「試合」と表記する。
現代ではこの意味で使うことがほとんどであるため、「試合」が一般的になっているのである。
泥仕合は、互いに相手の欠点や秘密を暴露し合う争いのこと。また、歌舞伎で舞台に田園を作り、その中で立ち回ること。
闇仕合は、闇の中での立ち回りや争いをすること。また、相手もわからず争うことを意味する。
泥仕合も闇仕合も「争う」の意味は含まれているが、競技や武術で勝負を競っているわけではなく、「互いにし合う」という意味を表すため「仕合」と書くのである。
しかし、まったく「泥試合」や「闇試合」と表記しないわけではない。
大雨のため泥まみれになって行われた試合を「泥仕合」にかけて「泥試合」と書いたり、暗闇の中で行われた試合を「闇試合」と書くことはある。
ただし、「泥試合」や「闇試合」と書く場合は、必ず「競技」であることが前提であり、互いに暴露し合う意味で「泥仕合」と書いたり、相手もわからず争う意味で「闇仕合」と書くのは誤用となる。