「十分」と「存分」


「十分(充分)に楽しんだ」と「存分に楽しんだ」のように、十分と存分は物事を満足のゆくまでするさまの意味では共通して使われる。
しかし、同じように使っていても、表す意味に違いが出ることがある。

十分は、十等分したうちの10というところから、「満ち足りて不足・欠点がないさま」を意味する。
「思い通り」や「思うまま」を表すのは、「満ち足りている」という意味からの派生である。

存分の「存」は「異存はない」「努力する所存です」などに使われるように、「思う」「考える」という意味がある漢字で、現代ではあまり使われないが、存分には「思うところ」「考え」という意味もある。
満ち足りた状態の意味で使う際も、存分は「思い」や「考え」について満ち足りた状態を表すため、「思い通り」や「思うまま」という意味になる。
しかし、数値的に不足がないさまや、ある基準に対して満ち足りているさまを表すことができないため、「十分な量がある」のような使い方はできない。

このことから、「力を十分に発揮する」と「力を存分に発揮する」のように、似た表現であっても表している意味に違いが出てくる。
十分は「力」を基準のある数値的なものとして捉えることができるため、「力を十分に発揮する」は「力の限り(不足なく)発揮する」という意味で使える。
しかし、存分は「思い」や「考え」について満ち足りた状態にしか使えないため、「力を存分に発揮する」といった場合は、「力を思う存分に(思い通りに)発揮する」という意味になる。

上記のことを踏まえて冒頭の「十分に楽しんだ」と「存分に楽しんだ」を比較すると、「十分に楽しんだ」は「楽しめる限界に達するまで楽しんだから満足」、「存分に楽しんだ」は「限りにとらわれず、思い通りに楽しんだから満足」と解釈できるのである。

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